【7】の続き



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時は現在。
1月31日。

街は雪に覆われていたが、午後には止むとの天気予報。
日曜日の今日は、ボクの誕生日。
朝、黄瀬君が出かける時も、いつもと何一つ変わらなかった。
掃除して洗濯して、食事の用意をして。
終わったらレポート作成と、資料探し。
明日赤司君と会う約束だったから、着ていく服を決めておこう。
ケーキを買いに行きたいけれど雪が降っていたので、止んでから行くことにしようと決めた。
どうせ急いではいないのだから。

結局雪が止んだのは、日が落ちてからだった。
予定より大分遅くなってしまったけれど、レポートが進んだのでよしとしよう。
黄瀬君からは何も連絡はない。
ダッフルコートとマフラーに身を包み、まだ柔らかい雪の上を歩いた。

駅前のケーキ屋で適当に購入したのは、去年と同じショートケーキとチョコレートケーキ。
去年、黄瀬君が壊れてから迎えたボクの誕生日に、手渡された包みに入っていた、2つの小さなカットケーキ。
全く祝う気がなく何も用意していなかったボクに、夕方帰宅した黄瀬君がくれた。
いつもより早い帰りに、その日は女性を連れてこなかったことに。
疑問ばかりが浮かんだけれど。
おめでとうの言葉も、ボクを見てくれることもなかったけど。
泣きたくなるほど嬉しかった。
食事はいらないと言うので、オニオングラタンスープだけ用意した。
黄瀬君と向かい合って食べた、甘くてしょっぱいケーキの味を、ボクは一生忘れないだろう。

もしかしたら今年も、なんてバカな夢を見る。
恐らく去年のは、黄瀬君の気まぐれなのだろう。
だから今年は自分でケーキを買った。
同じケーキを食べ、あの日のことを思い出すだけで、また頑張ろう、ボクはまだ大丈夫。
そう思える気がするから。


マンションが見えた辺りで、ある異変に気付く。
部屋の明かりが付いていた。
ちゃんと消して来たはずなのに、と考えたところで、あらぬ期待が頭を過る。
黄瀬君が、今年も…?
はやる心に引きずられるように駆け出した。
エントランス、カードキーを通す手が震える。
ちょうど止まっていたエレベーターに急いで乗り込み、目的階のボタンを押す。
コートのポケットから鍵を取り出し手に握る。
ドアが開き切るのを待ちきれずエレベーターから飛び出した。
希望の扉はもう目の前。

鍵を開け、息を切らしたボクの目に飛び込んできたのは

玄関に散らばった、黄瀬君のブーツと、見慣れぬブーツ。
キャメル色の長いそれは、黄瀬君が持っているものでは、ない。
それはどう見ても、女性の物で…

思わず出そうになる悲鳴。
抑えるように口を手で覆う。
頭から冷や水を浴びせられたように全身が固まる。
嫌な汗が噴き出し体が震える。
目の前の現実の受け入れを頭が拒否する。

へたり込みそうになる体を必死にむち打ち、ボクの体は自ら絶望へと突き進む。
違う、絶望なんかじゃない、これは希望の確認。
黄瀬君はたまたま、女性と一緒になっただけで。
だって今日はボクの誕生日だから。
早く帰ってきてくれたのでしょう?
女性を少し休ませているだけなんですよ。
そうでしょう、黄瀬君。
大丈夫です、わかってますから。
なにも文句は言いません。
だからどうか今日だけは。
そうすればまた1年頑張れます。
どうかボクの、誕生日、だけは…

ケーキの包みを手に、祈るような気持ちで向かったボクは黄瀬君の部屋の前。
中は静かで、人の気配はしない。
黄瀬君が女性とセックスするのは、いつも黄瀬君の部屋だった。
だからここにいないということは、そうではないということだ。
ならば2人はリビングにいて、願った通りくつろいでいるのだろう。
全身からどっと力が抜けるのがわかる。
よかった、本当によかった。
黄瀬君が女性をリビングに通すのも珍しいと思いつつ、ボクの足取りは軽い。
リビングと廊下を隔てる扉の前。
なんて言って入ろうか、考え始めた回路が停止する。
木枠に囲まれたガラスから見える室内の様子。

見えるのは、ソファに腰掛ける黄瀬君の背中。
見慣れた姿のはずなのに。
黄瀬君に絡み付くその腕は。
キミにキスするその女性は。
その、裸の、女性は。



あ…ああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!!























体は走り出していた。

嫌だ嫌だもう嫌だ!
どうしてなんでボクばっかりこんな目に!!
苦しい苦しい痛い痛い!
大丈夫なんかじゃない、
大丈夫なんかじゃなかったんだ!
頭が胸が心臓が!
五臓六腑が悲鳴を上げる。
苦しい辛い息ができない。
もう何も見たくない。
どうしてなんで黄瀬君は。
こんな思いをさせるのか。
そんなにボクが憎いなら
いっそ殺してくれればいいのに。
キミの心臓を突き刺す1つの刺となり、永遠にキミを苦しめられるのに!
あんなに大好きだった黄瀬君なのに
愛していたはずなのに
わき上がるどうしようもない憎悪の感情が抑えきれない。
憎くて憎くて仕方がない。
どうしてこんなにボクを苦しめる。

嫌いになれれば楽なのに。
嫌いになりたいと何度も願った。
忘れたい。
黄瀬君のことなんて、
出逢ったこともなにもかも。
全て忘れてそうすれば。
苦しみも痛みもなくなって
楽になれるはずなのに。
永遠の暗闇から抜け出せるはずなのに!!!

嫌いになりたい忘れたい。
黄瀬君が憎い憎い嫌い嫌い大嫌い。
こんなにボクを苦しめる
黄瀬君なんて大っ嫌い!
愛してるなんて嘘っぱち。
黄瀬君のためなんてただの綺麗事。
ボクがそばにいたかっただけ。
憎まれても嫌われても、それでもただ、そばにいたかっただけなんだ。
神様は残酷だ。
どうしてセックスのできない不完全な心に、こんなもの<恋>植え付けたのか。
ボクも泡となって消えられたらいいのに。
不完全な心ごと美しい夢の中で、終わらせてくれればよかったのに!

嫌いになりたい忘れたい。
黄瀬君が憎い嫌い大嫌い。
こんなにボクを苦しめる

だけどなんで…
どうして嫌いになれない。

ボクを呼ぶ優しい声を
触れるその指先を
抱きしめる体温を
笑顔を
キミがくれた幸せを
愛しい気持ちを
どうしてボクは殺せない!!

黄瀬君、黄瀬君、ボクはもうわからない。
キミを好きなのか憎んでいるのか。
そばにいたいけど苦しくて
だけどどうしたって離れられない。
愛しているのに忘れたい。
心がバラバラになりそうで
つなぎとめられるのはキミだけなんだ。


…会いたい。
キミに、会いたい。
キミに会えるなら、
たとえそこが業火に焼かれた地獄の底でも飛び込もう。
黄瀬君に、会いたい。



足の冷たさに、ふと我に返る。
白の舞う、闇に覆われた銀世界。
傘をさす、まばらな人影。
見慣れぬ景色に戸惑うボクの目が、釘付けになる。
車道の向こう。
傘をさし、片手をあげた男性の前にタクシーが止まる。
傘を畳んだ男性は、

「き…せく…」

なんで…ここに?
そんなことはどうでもいい。
タクシーが去ってしまう。
待って、待って、待って
待って下さい
行かないで下さい
置いて行かないで


タクシーに手を伸ばしたボクを
激しいブレーキの音と
白い光が包んだ






目に映ったのは、空色に白い雲の描かれたカーテン。
隣に体温を感じ、目をやると黄瀬君の綺麗な寝顔。
見惚れる間もなく、直接伝わる黄瀬君の体温に、2人とも裸なのだと知る。
戸惑うボクに、黄瀬君の柔らかい声がかかえる。
「ん…どうしたんスか黒子っち。まだ早いっスよ」
「黄瀬、君、どうして、ボク達、こんな格好で」
「ん?忘れちゃったの?昨夜は黒子っちの全部をオレにくれたんじゃないっスか」
…ああそうだ、昨日は6月18日。黄瀬君の誕生日。
ボクのすべてを欲しいと言ってくれた黄瀬君に、ボクは。
「なるべく手加減したつもりなんスけど、痛むとこあるっスか?」
「いえ、大丈夫です…」
柔らかく抱きしめられる。
「嬉しかった…ありがとう黒子っち」
「…いえ、ボクも、嬉しいです」
そう、ボクは黄瀬君の望む通りにセックスできたんだ。
よかった。本当によかった。
長い夢を、見ていた気がする。
「どうしたの?泣いてる」
「ちょっと、疲れてしまったみたいで」
「うん、そうだね。じゃあもう少し寝てようっス」
「…でも」
「どうしたんスか?」
「眠りたく、ないです」
「どうして?」
「眠ってしまったら、黄瀬君が、一人になってしまう、気がして」
「そうなんスか?オレも一緒に寝るから大丈夫っスよ」
「そう、ですね、黄瀬君も一緒なら」
「おやすみ、黒子っち」
「…おやすみなさい、黄瀬君」
幸せな、夢を。











「まだ着かないのか?」
「申し訳ありません赤司様。雪の影響で渋滞しておりまして」
一向に進まない車の列に、苛立ちがつのる。

黒子との待ち合わせの約束は、本来なら明日だった。
だが妙な胸騒ぎを覚えたオレは、急遽会合をキャンセルし黒子達の住むマンションに向かっている。
こんなことなら電車で来ればよかった。

携帯にも一向に繋がらなければメールの返信もない。
こんな時間に連絡がつかないのは初めてだ。
不安は増すばかり。

「赤司様、この先通行止めとなっているようです。申し訳ありませんが迂回します」
運転手の言葉に耳を疑う。
この辺りで工事を行っている場所はなかったはずだ。
「なんでも事故があったようで…」
ざわりと心臓が鳴る。
まさか、そんなはずは。

「赤司様!?」
いても立ってもいられず、オレは車を飛び出した。
事故があったというその現場まで走る。
救急車の赤色回転灯の光が目に入り、緊張は最高潮。
野次馬の群れをかき分け、祈るような気持ちで見た、担架の上には…

「っぁ…なぜ…お前が…………」
今日は、お前の誕生日だろう。
黄瀬が早く帰ってくるかもしれないと、マンションにいたんじゃないのか?
明日はオレと会う約束をしただろう?
なのになぜ、お前が、そこにいる
「っ黒子おっ!!」
頭から血を流し、目を閉じたままぴくりともしない黒子に、駆け寄ろうとするも阻まれる。
「落ち着いて下さい。関係者の方ですか?」
邪魔をするな、オレの邪魔をするな!

行くな、行くな黒子。
「お前まで、オレを置いて逝くな…っ!!!」





世界は闇に包まれ。
月明かりに照らされた銀世界が、いつまでも輝いていた。