✽ ✽ ✽

「【赤葦!今日も元気に死んでるか!?】」
「…死んでますね」
「今日も踊ってるー?」
【死んでんのかよ】
「踊ってます」
「ダメだこりゃ」
【まともに聞いてねえ】
 
 一月中旬。
 部活終了後、片付けを終え部室に戻ってきた俺は、本来いるはずのない人たちに迎えられた。
 春高も終わり、ここ梟谷でも三年は部活を引退。ほとんど顔をあわせることもなくなった。…はずなのに、どうしてこの人たちは今日も部室にいるのか。
 木兎さんは推薦で決まってるからいいとして、木葉さん、小見さんは一般のはず。こんなところにいる暇はあるのかと、他人事ながら心配になる。
「受験勉強はいいんですか?」
「よくねえよ」
【けどこのままじゃ集中できねえ】
 こんなところにいるからじゃないですか、木葉さん。
「【吐け赤葦!影山君と何があった!】」
「そうだそうだ、俺らの心配するならさっさと吐け」
【変なとこで頑固だよなこいつ】
 余計なお世話です木兎さん、小見さん。
 同じような会話が、先月から何度も繰り返されていた。 迫る三人をかわしながら、あの日のことを思い出す。
 
 影山が宮を連れてきた、〈あの日〉。
 合宿で宮と再会したあの子は、危惧していた通りあいつの手を取った。だから予定通り計画を実行した。それは、あの子を取り戻す手段のはずだった。
 ところがその計画は、取り返しのつかない事態を招いてしまった。
 あの子が、壊れた。

 弁解すべく何度連絡をしてもなしのつぶて。孤爪たちと話し合った末、挽回のチャンスを賭け春高では話を持ちかけたが、不発に終わった。
 どうすれば事態を打開できるのかもわからないまま、覚めない悪夢の中にいるような日々。
 話したところでどうにかなるとも思えないし、余計な心配はかけたくない。何より笑われる恐れもある。これ以上、傷口に塩を塗りこまれるのはごめんだ。
 それにこれは、俺と影山の問題だ。木兎さんたちには関係ない。
「…心配してくれることは感謝します。でも俺は大丈夫ですから、気にせず受験に集中して下さい」
「「「【どこがだよ!】」」」
「!」
 三人同時に突っ込まれ驚愕する。息ぴったりですね。
 木葉さんと小見さんは床に座り込むと、俺も座るよう促してきた。これは終わるまで帰れないやつだと、しぶしぶ腰を下ろした。

   ✽

「実は赤葦と影山君が付き合うの、木兎は最後まで反対してたんだよ」
【今だから言うけど。驚くだろうなこいつ】
「【おいっ!】」
 木葉さんの言葉に、木兎さんのツッコミが入る。
「もういーだろ、時効だ時効」
【赤葦にわかってもらうには、言うしかねえだろ】
 裏切り者だなんだ騒ぐ木兎さんたちを眺めながら、独りごちる。…すみません、知ってました。テレパスなので。それに最終的には認めてくれましたよね。 
 しかしそんなことを言えるはずもなく、知らなかったふりをして話を合わせる。
「…報告した時、祝ってくれましたよね」
「【反対できるわけねえだろ!影山君本人の目の前で!】」
 木兎さんは何も考えていないように見えて、本当に何も考えていない。なのに時折、こうした絶妙な気遣いを見せるからタチが悪い。木兎さんに魅了される人間が後を絶たないわけだ。
「どうして反対だったんですか?」
「【…赤葦が二股されるのが許せなかった】」
「まーな」
【赤葦がそれでいいと思っても、俺らが納得できるかどうかは別の話だ。俺らが口出す問題じゃねえけどな】
「それで付き合う影山君もどうなの?って思ったよ。お前には悪いけど」
【音駒のセッターもよく受け入れたなって。ぶっちゃけ、いつか目を覚ますんじゃないかって軽く考えてた】
 当時、俺には言えなかった本音を口々に言う。
 
 これらは影山を非難しているように聞こえて、真意は別のところにある。それだけこの人たちは、俺を大切な仲間だと思ってくれているのだ。
「…そうだったんですね。でも影山は、木葉さんたちが思っているような人間ではありません」
「知ってるよ」
【だから最終的に認めただろ。どこがそんなにいいのか、よくわかんねえけど】
 わかったら沈めます、木葉さん。
「…赤葦さ、幸せそうに笑うようになったの気づいてる?」
【合宿で影山君と話すようになってから】
 もちろん知ってます。散々小見さんたちが驚いていたので。なにせテレパスですから。
 影山と出会ってから俺は幸せだった。テレパスであることを初めて受け入れられた。その気持ちが、顔に出てしまっていたのだろう。
「…そう、ですか?」 
「あ、こいつこんな風に笑えたんだってビックリしたわ。こんな幸せそうに笑うんだって」
【楽しいとか嬉しいってのは、あったけどな】
 その事実を知った時は、顔から火が出るかと思いました。
 
「影山君と付き合ってからも、それは変わらなかった」
【だから仕方ねえかって思ったんだよ】
「お前は『ちゃんと幸せなんだ』って安心した」
【二股って、どう考えても不幸としか思えねえけど】
「【影山君になら、赤葦を任せられるってな】」
 三人から力強い笑みを向けられ、あの時感じたむず痒さが再び湧き上がってくる。あの時ほど、あなたたちの後輩でよかったと思ったことはありません。
「…ありがとう、ございます」
「…けどな」
 言いにくそうに、木葉さんは言葉を続けた。
「…十二月最初の日曜。部活早退したあの日から、それがなくなったんだよ」
【前みたいな笑顔に戻っちまった】
  
 初めて早退をした〈あの日〉以来。表面的には変わらず振る舞っていたつもりなので、心配されていると知った時は衝撃だった。
 今まで何度もしてきたことなのに、なぜ今回はうまくできないのか悩んだが、気のせいだろうと思うことにした。
 この話題に触れられることはあっても、俺に話す気がないとわかればそれ以上、踏み込まれることはなかったからだ。
 それなのに。
「あの日、影山君と何かあったんだろ?」
【烏野に探りを入れても何も教えてもらえねえわ文句言われるわ。別れたって聞いたけどこいつは否定するし、なにも言わねえし。マジで何があったんだよ】
「…気のせいです」
 なんで今日はこんなにしつこいんだ。平気だと言っているのだから、放っておいてほしい。
「あのな、気のせいだったら俺らもここまで、しつこくしねえよ」
【それこそ受験があるしな】
 木葉さんの苛立ちが伝わってくる。
 言い返したいことは山ほどあるが、それをするのも、話にこれ以上付き合うのも得策ではないと判断する。
「…本当に気のせいなのでそうして下さい。もういいですか?この話は見解の相違ということで」
「【!逃げるのか赤葦!】」
「そうですね」
 意外そうな表情の木兎さんに見つめられる。逃げるが勝ちという言葉を知らないようだ。
「ちょっ!待てって」
 俺を引き止めようと話し合う小見さん、木葉さんを横目に、バッグに手をかけたその時。
 木兎さんが叫んだ。

「【赤葦!お前は今までよくやってくれた!】」
「…?いきなりなんですか」
「そ、そうだぜ!お前のおかげで俺らの代でも全国行けたしな」
【優勝はできなかったけど】
 小見さんが続く。
「そうそう!木兎の世話とか木兎の世話とか、マジでよくやってくれたよ」
【お前がいなかったらどうなってたか】
 木葉さんたちまで、突然何を言い出すのか。
 訝しがる俺に気付いたのだろう。木葉さんはごまかすように頭をかくと、言葉を紡いだ。
【俺ら全員、お前に感謝してんだ】

「だから、そんな顔のお前を置いていけねえよ」

「なあ、話してくれよ、影山君と何があったんだ?俺たちじゃ力になれないか?」
【お前が独りで苦しんでるの、見てるの辛いんだよ】
 小見さんの真剣な眼差しが、俺を捉える。
「【俺のセリフ盗らないで!】」
 木兎さんの言葉を皮切りに言い合いを始めた三人の姿を、呆然と見つめた。

 …ずっと、独りだと思っていた。
 この力がある以上、誰かに真に理解されることなど、愛されることなど不可能だと。
 木兎さんたちが相手でも同じだった。彼らなりに心配してくれていることも、大切な仲間だと思ってくれていることもわかっていた。
 だから、それでよかった。
 それは影山も例外ではなかった。 
 そばにいられれば、俺を好きになってくれれば、それだけでよかった。
 誰にも理解してもらおうとは思わなかった。俺は〈俺〉を、諦めていた。
 
 だが、この人たちは。
 俺の苦しみを理解しようとしている。そばにいるだけで満足などせずに。〈俺が諦めた俺〉を、諦めてはいないのだ。
 …なんだ、これは。
「……っ」
 初めて感じる、胸の底から湧き上がる、言いようのない熱い感情は…!

「【三人寄ればタンゴの知恵って言うだろ!】」
「こんな奴が大学行けるとか…」
「木兎だから仕方ない」
「…あの」
 意を決し、声をかけた。
「ん?」
「……どうすればいいのか、わからないんです」
「「「【【【!キターーー!】】】」」」

 〈あの日〉のことを、話してみることにした。
 どう思われるか、どうにかなるのかもわからなかったが、そう思えた。
 それにしても、やはり息ぴったりですね。

   ✽ ✽ ✽

 ファミレスに移動し、少しずつ話をした。もちろん、【テレパス】であることは隠して。

 孤爪とも三人で付き合うことにしたのは、影山には〈嫌われたと思い込んでいる好きな人/M〉がいて、Mに太刀打ちするためだったこと。
「【!?マジか!?】」
「…すみません、あの時はこんな理由」
「違げーよ!いやそこもだけどよ、影山君好きな奴いたのかよ!」
【人間に興味ねーのかと思ってたわ】
「だよなぁ。赤葦たちが初めてかと思ったぜ」
【よく言いくるめたなと】
「…だったら、よかったんですけど」
 木兎さんたちが驚くのも無理はない。俺も影山の空想を聞くまで、好きな人がいるとは思わなかった。

「なんで好きな奴がいるってわかったんだ?」
【ってことは、告る前に知ってたってことだろ】
 テレパスだからです、木葉さん。
「…影山に一度断られたんです、好きな人がいるからと。ですがその相手と、どうにかなる可能性はないと思い込んでいました。なのでそれでもいいからと言いくる…頼み込んだんです」
「はー…マンガみてー…」
【赤葦の本気怖え…】
 失礼ですね、小見さん。愛が深いと言うんです。
「【赤葦はなんだってできる男だからな!】」
 光栄です、木兎さん。

 話が進まないので、質問は後でまとめて受け付けます。
そう前置きをして、話を続けた。

 Mに負い目を感じていることもわかったから、そこにうまくつけ込み付き合えるようになったこと。
 影山から向けられる思いが俺たちのものと違うことはわかっていたけど、いつか同じになってくれればいいと思っていたこと。
 影山がユース強化合宿に招集されたと知り、動揺したこと。なぜならMが誰か俺たちは知っていて、Mもユース合宿に参加することを知っていたから。
 更に問題なのは、嫌われたと思ったのは影山の勘違いで、Mは今も影山を好きなこと。再会したら、影山に恋人がいると知っても手を出すこと。そうなったら影山は、俺たちとの別れを選びMの手を取ること。
 それらは火を見るよりも明らかだったこと。 
「は?お前らと付き合ってるのに?」
【そう簡単に乗り換えるような奴かよ】
 余程驚いたのだろう。思わずといった風に木葉さんが口を開いた。
「…それについては、ノーコメントで」
 言える、わけがない。口にもしたくない。
 またなにか聞かれる前にと、急いで話を進めた。

 なので、Mが言いそうな口説き文句、言い訳理由理屈、あらゆる可能性を考え、それらを打破する〈証拠〉の確保に努めたこと。
 合宿で影山は、予想通りMの手を取ったこと。
「は!?」
【は!?】
「え?マジで?」
【あの影山君が?】
「…質問は後で受付ます」
 どうしてこの人たちは的確に、人の心を抉るのか。
 木兎さんは途中からテーブルに顔を突っ伏している。理解が追いつかないようだ。やはりこうなったか、静かでいい。

 〈あの日〉、Mと一緒に待ち合わせ場所に現れた影山に別れを切り出されたこと。だから予定通り〈証拠〉を用いたこと。
 それは確かにMの嘘を暴いたが、影山を傷つける結果にもなってしまったこと。
 影山の信頼を失ってしまい、取り戻せずにいること…。
「どうすれば、取り戻せると思いますか…」
 
 一通りの話を終えた。沈黙が訪れる。彼らの反応は、ほぼ予想していた通りだった。
 木兎さんは引き続き伏せたままだ。思考は真っ白。理解しようとしてくれたことは感謝します。
 小見さんは頭を抱え俯いている。どうにか話を整理しようとしている、ややこしくてすみません。
 木葉さんは腕を組み、目を閉じ眉間にしわを寄せている。多くの疑問が頭の中を渦巻いている。聞かずにいてほしいことばかりだが…そういうわけにもいかないだろう。
 …少しだけ、気持ちが楽になった気がするのは気のせいだろうか。何も解決していないのに、不思議だ。
 
「…この話の影山君は、あの影山君だよな?」
【マジであの影山君?兄弟とか同じ名前の別人じゃなくて?】
「あの影山です」
 余程信じられないのだろう。俺も夢ならどんなによかったかと何度も願った。
 だが何度願おうと、あの子からメールの返事が来ることは一度もなかった。
「…影山君とは、本当に別れてねえのか?」
【っつか思いっ切り別れ話されてるじゃねーか!烏野も別れたって言ってたし、別れてねえと思ってんのこいつだけじゃねえの?】
「…俺は認めていません」
 縁起でもないこと言わないで下さい。
【ツッコミどころありすぎて頭痛ぇ…】 
「…影山君は、なんて言ってんだ?」
「…なにも。何度も連絡してはいるんですが」
「なにも?マジで?」
【あの影山君が連絡無視?かなりやばくね!もう向こうは別れたつもりだろそれ!】
 だから縁起でもないこと言わないで下さい。
「……年賀状は返ってきました」
 真っ白でしたが。
「…それぐらい返すだろ…」
【マジでどうなってんだよ、くそっ、影山君がこの場にいれば話は早いのに!】
 同感です。でも影山の年賀状を「それぐらい」は訂正して下さい。

 木葉さんは一人問答を始めたようだ。
【…でもやっぱ信じらんねえんだよな、影山君が赤葦たち捨てるなんて…。付き合うって報告された時、スッゲー嬉しそうだったのによ】
 捨てられていません。
【やっぱ男はダメだったってことか?それなら仕方ねえかもしんねえけど】
 ?仕方なくありません。
【それ以外の理由だったら、影山君を許せそうにねえな。…けど気持ちはどうしようもねえのかー…】
 …すみません、それは反則です。
【とりあえずこいつの一番の問題は、影山君の信頼を失ったってことだよな】
 そうです、それを相談しているんです。
【まずはそこから攻めるか…『証拠を暴露したせい』って言ってたな】
「…証拠って、なんだよ」
 …際どいところを攻め込まれ、冷たい汗が背中を伝う。できれば話したくは、ない、孤爪にも散々言われた。
 だが話さなければ事態はこう着状態のまま。何も変わらないだろう。
 深い息を一つ吐く。
「……赤葦?」
【なんだよ、ヤバイやつなのか?】
 覚悟を決めた。

「…幾つか用意してましたが、使用したのは〈彼女の存在〉です」
「は!?彼女!?そいつ男かよ!」
【女じゃねえのかよ!】
「!彼氏です。相手は女性です」
 しまった。俺には当たり前の前提すぎて、考えが及ばなかった。
「いや無理だから、誤魔化せねえから。そうか、影山君そうなのか…」
【ゲイだったのか。女にもてそうなのに。じゃなきゃ赤葦たちと付き合わねえか。赤葦がゲイって知った時も驚いたけどな。ユース合宿でってそういうことか】
 ごめん影山。でもこの人たちなら言いふらさないから。あと俺はゲイじゃありません。影山だから好きになったんです。
【じゃあそいつを選んだのは性別以外の理由か…場合によっては、烏野に行く必要がありそうだな】
 …その必要はありません。でも感謝します。
【にしても彼女がいるって知ったぐらいで、そんな傷つくか?赤葦たちがいんのに】
「…ん?彼女いるってことは、影山君のことなんとも思ってねえんじゃねえの?そいつ。なんで今も影山君のこと好きって、断言できんだよ」
【バイってやつか。今もってことは昔からってことだよな…初恋ってやつ!?】
「…知り合いなので」
「ああそう言ってたな…」
【世間て狭いな】
 あの時は世界を恨みました。
「それで、なんだっけ…」
【Mと赤葦は知り合いで、Mが影山君を昔から好きなことを知っていた。で、影山君もMを昔から好きなことも知っていた…】
 …やはりそこは気になりますか。
【…邪魔なのは赤葦たちだったんじゃ…】
 殺意が芽生えそうです。
【いやいやいや!Mとは〈知り合い〉っつったな。あんま仲良くねえんだろ。なら俺でも言わねえな。なんで好きな子の恋を応援しなきゃいけねえんだ!恋は戦争だ!奪ったもん勝ち!】
 理解してもらえ嬉しいです。手を汚すことにならなくてよかった。

 木葉さんは腕を組んだまま、厳しい顔をしている。不意に、何かを閃いたようだ。
【あれ?じゃあ】
「お前はMに彼女がいるって知ってたんだよな」
「はい」
「影山君に教えておけばよかっただろ。知ってれば、そいつの手を取るなんてしなかったんじゃねえの?」
【いくら好きだったからって、他人の男を寝取るようには見えねえよ。赤葦たちもいるのによ】
 …そうだったなら、どれだけよかったか。
「…影山には、俺たちがMを知ってることを隠していたので、言えませんでした」
「あ?」
【なんでだよ】
「会わせてくれと言われるのがオチですよ。会えばどうなるか、結果は見えています」
 俺たちは捨てられる。それがわかっていて、どうして会わせられよう。

 訝しげな視線を、木葉さんに向けられる。
【なんでそんな決めつけてんだ。確かに、そうなったけど、影山君そんな奴に見えねえだろ】
 …テレパスだからです。あの子の本心がどこにあるか、知っているからです。
「…それにMは影山が本命なので、隠して付き合えば、影山に知られずに〈彼女〉を切ると思ったからです」
「はあ!?そいつ影山君が本命なの!?」
【なんなんだ影山君、魔性のゲイか!】
 あの子は天使です。せめて小悪魔と言って下さい。
 思わずといった風に叫んだ木葉さんが、周囲の視線を感じ取り口元を押さえる。
「だから二人が正式に付き合う前に、Mの嘘を露呈させたかったんです」 
 気持ち小声になり、質疑応答は続く。

「…だとしても、別れ話の時に彼女の存在教えたのは頭悪すぎだろ。実はMのことも来るのも知ってました、って暴露してるのと同じじゃねえか。なんでそんなことするかな」
【〈証拠〉掴んでたんなら、次の日にでも言えばよかっただろ、一日で調べたとかなんとか言って。そうすれば二人の間に波風立つだろ?そこに赤葦がつけ込んで…】
「…それは、孤爪にも言われました」
「!わかってて言ったのか?」
【なんでだよ】
「…後日では、〈証拠〉を使用するのに都合が悪かったからです」
「…都合?」
【彼女がいるって話すだけじゃねえの?】
「…本人です」
 木葉さんの顔が、驚愕に歪められる。
「…本人?」
【おいまさか】
「…〈彼女〉本人に、電話で話してもらいました」
「ハァァー!?」
【キッツー!何それキッツー!】
「!?」
「!ビビった!急にしゃべんな!」
【心臓に悪いわ!】
 急に叫んだ小見さんに、間髪入れず木葉さんが突っ込む。もっと言って下さい。

「ドエスかよお前!そりゃ傷つくわ!…まさか彼女に、余計なこと言わなかっただろうな?」
【電話の相手は、君の恋人に思いを寄せてる男だとか】
「…なんでわかるんですか?」
 木葉さんに的確に言い当てられ、驚愕する。
「言ったの!?マジで!?影山君がお前の彼氏を好きだって!」
【無理だこれ、そりゃ信用もなくなるわ】
 小見さんはまた、頭を抱えて俯いてしまった。
「…名前までは出してませんよ。それに俺は、影山のためを思って」
「どこがだよ!彼女がいるとだけ言えば済む話だろ!疑うなら、そいつと彼女が一緒の写真でも見せてよ。
 本人に電話かけさせるにしても、何も影山君の気持ちまで言う必要なかっただろ」
【なんでわざわざ言うんだよ。これ絶対酷いこと言われただろ…フラれたからって、ここまでするような奴だったかよ】
 疑念の目を向ける木葉さんの姿が、あの時の孤爪の姿に重なる。

「…そんなこと知った彼女が影山君にどんなことを言うかぐらい、お前なら想像つくだろ?どうしてバラしたんだ」
【影山君が、傷ついてもいいと思ったのか?】
「………」



 傷つけば、いいと思った。


 
 あの子の心は《王子様》で包まれていた。誰も入り込める隙などなかった。
 だが俺たちは《あいつ》に刻みこまれた〈傷〉に気付いた。そしてその傷口から、あの子の心に入り込むことに成功した。
 だからまた、あいつに新たな〈傷〉を刻まれれば、さらにあの子の内に入り込める。俺から離れられなくなる。あの子の《本当の王子様》になれる。
 そう信じて疑わなかった。

 この計画を伝えた時、孤爪には反対された。
『それじゃ飛雄が、また傷つく』
 そんなことはわかっている。
〈だから〉選んだ。

『宮に奪われたとしても奪い返せばいいでしょ。おれはこれ以上、傷つく飛雄を見たくない』
 そんな生ぬるい考えでは、あの子の《王子様》にはなれない。なれなければ、いずれあの子は俺たちの元からいなくなる。それでもいいのか。
 半ば脅しのような説得を続けた末、孤爪も受け入れた。
 そして俺たちは計画を実行した。

『君の恋人に思いを寄せている男がいて、恋人は君に相談できずに悩んでいる』
 そう〈彼女〉に伝えれば、傷つけてくれると思った。
『俺は君の恋人の従兄弟だから、彼の力になりたいんだ』
 それは本当のことだから、〈彼女〉は信じた。そして願った通り、あの子を傷つけてくれた。
 そうして俺たちが、あの子の《王子様》になるはずだった。 
 …なのに。
 俺たちが新たな〈傷〉になってしまった。深く、取り返しがつかないほどの。

「…あんなに傷つくとは、思いませんでした」
「!傷つくに決まってんだろ!付き合ってる奴にそんなことされたら!」
【罵られたからってだけじゃねえ。お前の今まで全部、信じられなくなるほどのショックだろ!】
 それはあの子も言っていた。

 あの子の記憶から〈実は俺たちはグルで影山をだましていた〉という発想が出てくるのは理解できた。だがなぜ、そう思い込んでしまうのかが理解できなかった。
 宮や孤爪はともかく、俺はそんな人間ではないと信じてくれていたはずだ。
 〈彼女の存在〉では傷ついても、〈俺たちが彼女を知っていたこと、それを隠していたこと〉で、〈影山の気持ちを彼女が知っていたこと〉で、あそこまで傷つくとは思わなかった。 
「…何がまずかったのかは、理解しているつもりです。でもその理由まではわからなくて…。木葉さんは、わかったというんですか?」
 テレパスでもないのに、どうして。
「…なんでわかんねえかな…」
【こいつ、影山君が絡むと途端にバカになるな】
 今までにないくらい、深いため息を吐かれた。
  
   ✽

 赤葦たちは影山に告白した。だが影山は好きな人(M)がいるからと断った。それは誰も知らない、影山の〈秘密〉だった。
 それでもいいからと赤葦たちは影山を説得し、付き合い始めた。
 影山は合宿でMと再会した。Mと赤葦たちとの間で揺れ動いたが、Mの手を取った。
 だがMには彼女がいた。しかも彼女は、赤葦たちしか知らないはずの〈影山の秘密〉を知っており、酷い言葉で罵られた。赤葦がバラしたのだ。
 赤葦たちとMは知り合いで、Mに彼女がいることも知っていたが黙っていた。そしてわざわざ彼女に電話させ、その事実を知らせた。
 
 揺れ動く影山を、赤葦たちとM、彼女たちで嘲笑っていたのか。赤葦たちはこのために自分に告白したのか。ずっと騙していたのか。好きだと言ったのも、全て嘘だったのか…。

   ✽

「影山君にしてみれば、こういうことだろ。影山君の中で今までの全部、ひっくり返っておかしくねえよ」
【バラしてなければまだ誤魔化せたかもしんねぇが、バラすなんて悪意がなきゃしねえだろ】
「…………………」

 あまりの酷さに絶句した。
 そんな、そんなつもりは一切なかった。少しだけ、傷ついてほしかっただけなのに。
「影山君に好きな奴がいたなんて、俺らはもちろんだけど烏野の奴らも知らなかった。それだけ影山君は必死に隠してたんだろ。
 その秘密をお前らには打ち明けた。お前がしたことは、その気持ちを踏みにじったんだ」
【なんでそんなことしたんだよ。そんな奴じゃねえだろ】

 〈秘密〉を知っていることが、あまりにも当たり前になっていた。今までそれをどうこうする気も、したことも一度もない。だからなのか、その重みを忘れていた。
 知りすぎた影山の〈秘密〉は俺たちの中で〈真実〉となり、彼女に告げることにためらいはなかった。傷つけてもらうには、格好の材料だった。
 だがあの子には、何より大切な〈秘密〉だった。忘れてもなお、必死に守り続けた〈思い〉だったのに…。
 
「あんなに、ってことは、少しは傷つけって思ったってことだよな?なんでだよ。影山君がなんかしたのか?」
【ケンカでもしたのか?それが原因で別れ話になったとか?だったらこいつも悪いよな】
 …そんなもの、したことはない。甘やかすことだけを考えた。
 あの子が俺たちから離れないよう、好きになってくれるよう。あの男より、俺たちを選んでくれることだけを願って。

「……傷つけば」
「!」
【なんだ!?】
「…宮に関することで影山が傷つけば、宮の存在自体がトラウマになると思ったんです。そうすれば、俺たちの元へ戻ってくると」
「!…お前さ」
【こいつ今名前言った。ミヤって誰だ?今度調べよ】
 しまった。だが、いい。そんなことを気にかけている場合ではない。
「ずっと疑問だったんだけど、なんでそう言い切るんだ?お前らと付き合ってんだろ?そもそもなんでフラれるの前提でそんなこと準備してんだよ。なんでそんな信用ねえんだ?」
【好きだった奴が目の前に現れて両想いでした。だからホイホイ乗り換えます。そんな奴には、どうしても見えねえんだよ】
 
 …知って、いたから。
 あの子が《王子様》をどれほど好きなのか。普通の人には決してわからない思いの深さを、知ってしまったから。

「…信じてやれよ。最初は同じ気持ちじゃなくても、影山君はちゃんとお前らに向き合ってくれるって。じゃねえと、お前らを選んだ影山君が可哀想だろ」
【そんなに信用できねえなら、なんで付き合ったんだよ】

 …知らないから、言えるんです。何も聞こえないから、そんな風に思えるんです。
「実際、あの子はあいつを選びました」
「…そうだけど…。なあ、本当に影山君に別れようって言われたのか?そいつの方が好きだからって?」
【どうしても信じらんねえんだよ】
 なんでそこまであの子を信じられるのか。いっそ腹が立ってくる。信じて裏切られて?そうなってからでは遅い。
 わからないというのは幸福で不幸なものだと、こうなって初めて気付く。
「そうです、あいつの方が好きだから………?」
 …なんだ?
 大切な何かを、見落としているような気がする。
 …言ったか?
「…?お前らに見切りつけたなら、そこまで傷つくこともなかったんじゃねえかって思うんだけど」
【俺の勝手な推測だけど】
 宮の方が好きだからと、あの子は言ったか?
 あの子は、〈あの日〉…。
「…なあ、実は脅されてたとか」
「木葉さん」
「!なんだ」
「少し黙って下さい」
「ハァア!?」
 〈あの日〉、あの子はなんと言っていた?

『宮さんと、付き合うことにしました』
『宮さんは俺じゃないと、幸せになれないと言いました』
『俺がいたからバレーをやめずに続けられたと言いました』
『だから俺が、宮さんを幸せにします、すみません』

 …そうだ、確かそう言っていた。〈宮さんの方が好きだから〉とは、一言も言わなかった。
 思い返せば〈あの日〉。あの子の心は〈悲しみ〉でいっぱいだった。
 宮と付き合えることへの〈喜び〉や、あの子の性格上、別れることへの後ろめたさから生じる〈罪悪感〉ならともかく。
 あの子の心は〈悲しみ〉でいっぱいだった…悲しい?
 何が?…俺たちと別れることが?
 宮と付き合えるのに?

「…まさか」
「あ?」

 なっていたと言うのか。俺たちのことも、《宮》と同じくらい好きに、なっていたと…?
 まさか、なぜ、いつの間に…!?
 そんな、あり得ない。

『信じてやれよ』

「!…木葉さん」
「!だからなんだ!?」
「信じるって、どういうことですか?」
「はあ!?……こいつは俺を裏切らない、嫌うことはないって安心する…?大丈夫と思うっつーか…くそっ、改めて聞かれると難しいな」

 〈裏切らない〉。あの子には抱かない心情だ。 
 本心はわかっている。宮を選ぶのはわかりすぎるほどわかっていた。
 信じられる、わけなどなかった。
 
「…どうすれば、信じられるようになるんですか?」
「!…いきなりは無理だろ。自分の目で見る、話し合う、時には触れる。そうやって少しずつ相手を知ることで、信じられるようになる…そういうもんだろ?」
 
 〈相手を知る〉。
 そうか。そうだ。知っていたはずだ。あの子がどういう人間か、俺は知っていたはずだ。

 あの子を好きになったのは、豊かな想像力に惹かれたからだ。けれど関わる内に、その内面も知った。想像力を支える一途な思いの強さ、その温かさ。
 そうだ、あの子は一途なのだ、《王子様》にだけではない、バレーもそうだ。一度受け入れたものに愚直なまでに、あの子は思いを向けるのだ。
 その思いを、裏切るような人間ではない。

 告白の返事をくれた時もそうだった。
『俺の《王子様》は、俺だけのものにしておきたかった』
 そう思っていたのに。 
『俺も本気で応えたい』
 だから《好きな人》がいることを教えてくれた。癒えない傷を見せようとしてくれた。いくらでも誤魔化せたのに。
 そして。
『いつか同じ〈好き〉になれる』
 だから、俺たちを受け入れた。
 あの子の誠実さを、俺は知っていたんだ…!

 〈《王子様》と再会したら、彼の方が好きだから俺たちと別れる〉

 その程度のいい加減な気持ちで付き合ったわけではないと。《王子様》への思いに気付く前ならいざ知らず、気付き、わかった上で受け入れた俺たちのことを。
 そんな理由で捨てるような非情な人間ではないと、信じるべきだったんだ…!

「…俺は」
「?おう」

 合宿三日目の朝に送られてきたメール。
『寝てて気付きませんでした、すみません』
 嘘だと気付いた。あいつが関わっているのだと。わかっていたこととはいえ、ショックだった。

 そして〈あの日〉。
 宮の頭の中は、見たことのない影山の痴態でいっぱいだった。したことのないキスをして、触れたことのない箇所に触れ、一度も見たことのない顔をしていた。
 俺たちには待てと言いながら、この男にはしたのか、見せたのか、そんな姿を、表情を。そんなに、その男がいいのか…!

 …影山も傷つけばいい。そして後悔すればいい、宮を選んだことを。計画を実行することに、ためらいはなかった。
 …だが。信じていれば。

「どうすれば…」
「?赤葦」
「どうすれば、あの子に償えますか?」
「!何が悪かったかは、わかったんだな?」

 あの子があいつを選ぶのは、〈王子様の方が好きだから〉以外の理由があるはず。その理由を聞き出し、話し合うべきだったんだ。
 いや、そもそも聞こえていたのだから、冷静に考えればわかっていたはずだ。影山じゃないと幸せになれない?バレー続けてきた?だからなんだ!?
『俺も影山じゃないと幸せになれないから、別れたくない』
 そう言えばよかったんだ、信じていたなら。あんな方法で傷つける必要など、どこにもなかったんだ…!

「わかりました、だから教えて下さい。俺はどうすれば」
「…影山君は、本当に赤葦のこと嫌ってねえんだな?ストーカー扱いで警察沙汰とかゴメンだぜ」

 …春高前日。なんとか許可を得て烏野の宿に行った時、あの子は俺たちを拒んだ。直接会えばとの希望は、粉々に打ち砕かれた。
 あの子の世界は真っ黒のままで、胸が痛んだ。
 その中で聞こえた。
『荷物捨ててなかった』
 捨てようとしていたことも、開封されていなかったこともショックだった。なんの返信もないはずだ。
 だが、捨てられてはいない。それはまだあの子の内に、俺たちの存在があるということ。
 希望の欠片は残っている。

「…まだ、大丈夫だと思います。ですがおそらく時間の問題です。手遅れになる前に、どうか」
「!嘘じゃねえだろうな」
「それは保証します。だから何かありませんか?」
「それは赤葦が考えろ!」
「!」
「っ!起きてたのかよ木兎!」
【寝てるんじゃなかったのかよ!】
 テーブルに突っ伏していた木兎さんが突然叫んだ。なんでこの人たちはこう、心臓に悪いんだ。

「…急になんですか木兎さん」
「【影山君がまだ赤葦を好きなら、責任とって幸せにしろ!赤葦ならできる!】」
「答え言っちゃってるよね!?」
【考えろって言わなかったか!?】
 間髪入れず、小見さんのツッコミが入る。
「お前も起きてたのかよ!」
【二人して寝たふりかよ!】
 俺も気付かなかった。向かいにいるのに、こんなことは初めてだ。
「話の邪魔しちゃ悪いと思ってよ」
【俺が口挟める状態じゃなかったわ】
「【!俺もだ】」
「お前は理解できてなかっただけだろ」
【木兎だから】
「…赤葦も人間だったんだな」
【なんか安心した】
「【?人間じゃなかったのか!?】」
「誰か木兎に説明してやれ」
【俺はパス】
 …なぜだろう。この人たちの会話を聞いていると安心するのは。 
 軽蔑されこそすれ、『安心』と言われるとは思わなかった。あんな話を聞いてなお、そう言ってくれるとは…。どういう意味か、後で聞けたら聞いてみよう。
 言い合いを続ける三人を眺めながら、孤爪の言葉を思い出す。

『赤葦は傷ついた飛雄を救うことで、自分が救われたいだけなんだ』

 何が悪いと一蹴した。
 これ以上最高の結末はないだろう?俺たちはあの子を手に入れられ、あの子も救われる…。

 だが、そうじゃない。
 考えるべきだったのは。大切だったのは。
 …木兎さんに、気付かされるとは。

「…木兎さん、木葉さん、小見さん。お願いがあります」
「「「【【【!何だ!】】】」」」
「何でもいいので、着ぐるみを貸して下さい」
「「「…はぁ!?」」」
【【【赤葦がおかしくなった!】】】

 〈あの日〉、あの子は泣いてはいなかった。
 だが心の中では泣いていた。泣きながら俺たちを黒く塗りつぶしていた、何度も何度も、何度も何度も何度も何度も…。
 温かく幸せに満ちていたあの子の世界が、真っ黒になってしまった。拠り所としていた空想の世界すら、俺たちが奪ってしまった。
 その世界を、取り戻してみせる。

 

 

 

3へ続く