✽ ✽ ✽

 一月下旬。
 部活終了後、体育館で片付けをしていると制服姿のクロが顔を出した。
「研磨、頼まれてたのこれでいいか?」
【こんなもん何に使うんだ】
 クロが抱えていたのは、大きな猫の着ぐるみ。今週末の宮城行きに合わせ、おれが頼んでいたものだ。間に合ってよかった。顔がブサイクだけど気にはしない。
「…うん、週末借りるね」
 クロが不審そうな表情で聞いてくる。
「…本当に大丈夫なんだろうな?澤村たちに何度も念をおされたぜ、協力するのはこれが最後だと」
【澤村はともかく、菅原たちは受験で大変なのによく協力してくれたぜ】
 それは申し訳なく思う。クロは推薦で決まっててくれてよかった。でなければさすがに、頼むことも相談することもできなかった。
「……わからない。けど、今動かないと後悔する。だから行く」
「!…お前、いい男になったな」
【こいつ、いつの間にこんな顔するようになったんだ】
 感心したように言われ、くすぐったい気持ちになる。
「だとしたら飛雄のおかげだ」
 恋愛なんて邪魔なだけだと思ってた。おれ(テレパス)には一生必要ない、そう思っていた。
 それを変えたのは、飛雄だ。

「お前本当に変わった」 
「研磨さん宮城行くんすか!俺も行く!飛雄に会いたい」
【飛雄元気かな!】
「来ないで、邪魔」
「人の言葉を遮るんじゃねーよ!」
【話がややこしくなるだろ】
 リエーフが突然会話に入ってきた。飛雄のことになると耳ざとくなるのが鬱陶しい。
「【酷い!なんで研磨さんばっか…俺の方が先に飛雄を好きになったのに】」
「順番は関係ない」
「…飛雄に、あんな顔させたくせに」
【春高での飛雄にビックリした。試合の時はイキイキしてたのに、コートの外に出ると表情なくなって…】
「【研磨さんたちのせいでしょ】」
「……」
 リエーフの鋭い視線が突き刺さる。
 …そう。おれたちのせいで飛雄は壊れた。

 〈あの日〉以降、飛雄からの返事がないことに焦りを感じ、何度も宮城まで行こうとした。だけど察知したクロと、クロから連絡を受けた烏野(主に菅原サン)に止められ(脅され)、宮城行きが叶うことはなかった。
 だから春高で久々に会えた時、飛雄のあまりの変貌ぶりに愕然とした。おれたちがここまで追い込んでしまったのだと、後悔に胸が押しつぶされそうだった。
「【痛っ!】」
「!」
 叫び声で我に返る。
「【なんで殴るんすか黒尾さん!】」
「人に構ってる暇あんのかよ。おら!。優しい先輩がレシーブ練に付き合ってやるぜ」
【んなこと、研磨は十分すぎるほどわかってんだよ】
「【ギャー!昨日もやったじゃないすか!】」
 抵抗を続けるリエーフを、クロがコートまで引きずっていく。クロの気遣いが今は痛い。
 でも、ありがとう。

   ✽ ✽ ✽

 その日の夜。
 週末に控えた宮城行きのため、荷物の用意をする。着ぐるみをなんとかバッグに押し込みながら、頭に浮かぶのは最後に見た、飛雄の笑顔。
 あの子がおれたちの気持ちを受け入れてくれた、あの日のことを思い出す。

   ✽ 

 四回目の合同合宿。飛雄と付き合うことになれた日。
 飛雄の中でおれたちはサンタクロースになっていた。その後王子様に変わったけど、結局はサンタなんだとショックだった。空想自体は文句なしの可愛さだったけど。
 それでも、《王子様》からあの子を奪う。第一段階の成功を喜んだ。

 あの子がおれたちを好きになってくれるよう、電話やメールで思いを伝え続けるのが第二段階。
 それもうまくいっていたと思う。たどたどしい言葉を返してくれるのが可愛くて、嬉しかった。
 
 第三段階として、十二月二十二日。飛雄の誕生日に、サプライズで赤葦と宮城に行く予定だった。
 あの子の体は快楽に弱い。
 キスした時にその事実に気付き、興奮した。今すぐ押し倒したい衝動に駆られたし赤葦の頭の中は酷いことになってたけど、二人ともなんとか耐えた。飛雄とするのが、より楽しみになった。
 三人で一晩を過ごし、宮とは決して味わえない快楽を体に教え込む。そうすれば春高で宮に再会しても、おれたちから離れようとはしないだろう。

 そう計画を立てていたのに、第二段階の途中で再会する運びとなってしまった。飛雄がユース強化合宿に選ばれたと知り、愕然とした。
 飛雄と付き合ってからは、宮の動向を調べていた。だから飛雄から報告を受ける前に、宮がユース強化合宿に選出されたことを知っていたから。
 あの子の気持ちが、まだおれたちに傾いていないのに。このまま再会してしまったら、あの子は宮の手を取る。
 どうすればいいか悩み、赤葦と計略をめぐらせた。

『宮の彼女に傷つけられれば、宮の存在自体がトラウマになるだろう。傷ついたあの子を俺たちで包めば、あの子はますます俺たちから離れられなくなる。
 一石二鳥の方法だと思わないか』

 赤葦に提言された時、最初に思ったのは飛雄が傷つくということだった。だから反対した。
 彼女の存在を伝えるだけでいい。そうすれば少なくともあの子の性格上、合宿中に決断する事態は免れる。そして次に宮と会うまでに、あの子の体を手に入れればいい。
 おれはそう言ったけど却下された。赤葦は、あの子に〈傷〉がつくことを望んだ。
 その時気づいた。
 
 赤葦は〈救われたい〉のだと。
 
 何が悪いと本人には一蹴されたけど、そういうことじゃない。それほど深かったんだ、赤葦の闇は。

 …考えれば無理もない。
 この力(テレパス)は、一人で抱えるには重すぎる。
 事情を知る必要はない、知ったらそばにいられなくなる。だけど、そばにいるだけで安らげる。そんな人間の存在が、おれたちには必要なんだ。
 おれにはクロがいた。
 だけど赤葦には誰もいなかった。
 高校で木兎サンたちに会えたけど、それは赤葦の人格が形成された後だったから、およそ意味を持たなかった。
 赤葦はずっと独りだった。
 そこにあの子が現れた。

 あの子は光だ。
 果てのない暗闇に、突如差し込んだ一筋の光。
 失えばまた暗闇に逆戻り。
 どうしてそれを失える?

 どうしても手に入れたかったんだ。おれと手を組んででも、たとえあの子を傷つけてでも。
 痛いほどにわかってしまった。クロがいなかったら、おれも同じだったと思うから。
 だから最終的に赤葦の計画を受け入れた。傷ついた分、おれたちがあの子を大切にすればいい。
 だけどそれが間違いだった。傷けるどころじゃなかった。
 壊して、しまった。

   ✽ 

 着信拒否され、真っ白な年賀状が返って来た以外何の反応もなく、会いに行くこともできず、春高後、おれはとうとうクロに打ち明けた。
『…飛雄に別れを告げられたけど、おれは別れたくない、やり直したい。でもどうしたらいいかわからない。だからおれの話を聞いて、思うことがあったら教えてほしい』
 心配してくれていたクロは、二つ返事で引き受けてくれた。軽蔑されるかもしれないとの不安はあったけど、それ以上に怖かった。このままあの子を、失ってしまうのが。
  
 話の途中からクロが怒っているのがわかった。途中でやめたくなったけど、そういうわけにもいかない。
 いつ怒鳴られるかビクビクしてたけど、珍しく一言も口を挟まれなかった。それがかえって怖かった。心の中では、おれたちへの疑念や怒りが渦巻いていたのに。
 
 一通り話を終えると、突然、クロに殴られた。
『なんで、あんなに傷ついたかわからないっつったな…』
 あまりにも突然すぎて、何の対処も出来なかった。
『どうでもいい奴にバラされたって傷つくさ、けどそういう奴だったのかで終わりだろ?けど、お前は違う』
 クロに殴られるのは初めてで呆然としていると、胸ぐらをつかまれ、怒鳴られた。


『信頼してたんだろ、好きだったんだろ。だからショックだったんだ。あんな笑えなくなるまで、お前のことが好きだったんだよ!なんでわかんねーんだ!』


 愕然とした。
 まさか、そんな。
 想像もしなかった。あの子がおれたちを、こんなに早く好きになっていたなんて。そんな、その可能性があったなら、あんな方法は取らなかったのに。
『…なんで、そう思うの?合宿でしか会ってないよね、しかも話すことなんてほとんどなかったのに』
 クロの言うそれは、ただの仮定だ。事実じゃない。事実であって、いいはずがない。
『!…そうじゃなきゃ、報告なんてしねぇだろ』
 
 三人で付き合うことを報告したこと、その時飛雄が泣いたこと。
 クロたちには、それが衝撃だったらしい。

『二ま…三人で付き合うのを報告するなんて、相当の覚悟がないと無理だろ。しかも男同士だ』
 おれたちにとっては、牽制と周りを固める意味での報告だった。すでにおれたちの気持ちはバレてて応援されていたわけだし、何より報告しても非難するような人間じゃないとわかっていたから、気が楽だった。
 …でも、飛雄は違う。飛雄は〈テレパス〉じゃない。自分をどう思っているかなんて、どう思われるかなんて、あの子にはわからなかった。

『お前がそれだけ俺らを信頼してくれてたってのは、素直に嬉しかったぜ』
 そうだ、あの子は怯えていた。
 自分は認められないと怖がっていた。それでもおれたちが言うならと、おれたちがいるからと、報告することを受け入れてくれた。
 …おれたちを、信じて。
『しかもこの場合、一番非難されるのは影山君だ。どう言いつくろったってしてることは二股だろ。だから人目もはばからず泣いて喜んだんだ、よっぽど怖くて嬉しかったんだぜ。それだけ最初から、ちゃんと本気だったんだろ』
 〈知ってる〉おれたちと、〈知らない〉飛雄。
 とった行動は同じでも、それを選ぶ覚悟はおれたちの比ではなかったはず。
 どうして、そんなことも気付かなかったんだ…。
『…でも、飛雄の中にはそいつがいて、おれたちのことはあんまり』
『…なんでそんなことわかんだよ』
『……なんとなく。飛雄はいつもそいつのことばかり』
『…無自覚なんじゃねえの?』
『?』
『影山君本人も気づかないうちに研磨たちのこと、ちゃんと好きになってたんだろ』
 目の前が、真っ白になった。

   ✽ 

 飛雄の〈好き〉は、おれたちのそれとは違う。
 本人もそう言っていたから、おれたちも信じて疑わなかった。実際、空想でおれたちは【サンタの王子様】だった。
 『寂しい』と、言ってくれなかったことが辛かった。少しは思ってくれていたけど、【また会えるから】『寂しくない』とあの子は言った。
 《王子様》とおれたちを、比べている。それはあの子の心に、《王子様》が居座り続けている証拠だ。
 だから離れている間。 あの子の中で、おれたちは《宮》に少しは近づけたのか、そんなことばかり考えていた。
 
 だから、見落としていた。

 …いつからだろう。
 スマホから聞こえてくるあの子の声が、やわらかくなっていたのは。
 
 いつからだろう。
『好きだよ』
 そう伝えても、返ってくるまで間があったのが。
『俺も好きです』
 ためらいなく返ってくるようになったのは。
 あの子の、そんな些細な変化を見落としていた。

 そうしてユース合宿初日。
 電話した時に言われた。
『俺も会いたいです』

 おれはあの時、『会えなくて残念』と言った。『会いたかったのに』とは言わなかった。
 今までなら『俺も残念です』、そう返ってくるはずだった。おれたちの言葉を、おうむ返しのように口にするはずだった。
 それがあの日初めて、『会いたい』と言った。
 あの時は、初めて告げられたその言葉に心が震えた。でもよく考えれば、それ以上の意味があったんじゃないか?

 『寂しくない』と言っていたのに。
 『会いたい』と口にするほどの変化が、あの子の中で起こっていたんだ。
 それはきっと、おれたちが待ち焦がれていたもので…。

 その変化は、電話ではわからない。でも聞けば、精一杯教えてくれただろう、たどたどしい言葉で。
 聞けばよかったんだ。より好きになってもらおうと、気持ちを伝えるだけでなく。
 会いに行けばよかったんだ。『会いたい』と言ってくれるのを待つだけでなく。
 そうすれば、気付けたのに。
 
 気付かなかった。
 気付こうともしなかった。
 いつまでも〈《王子様》の方が好き〉と決めつけ、あの子の気持ちを知ろうとはしなかった。あの子の内の《王子様》にばかり気を取られ、あの子を見ようとしなかった。
 …《王子様》を取り戻しても、あの子はおれたちへの思いを捨てなかった。サンタではあったけど、【王子様】と思ってくれていたのに…!

 いつまでも《王子様》に囚われていたのは、おれたちの方だったんだ。

   ✽ 

 荷造りを終え、新幹線のチケットを確認する。三連番の指定席券が三枚。クロに押し付けられたものだ。自由席でよかったのに。
『…影山君とうまくやり直せたとして。今は離れてるからいいかもしれないけど、研磨が選んだのはこの状態がずっと続くってことだ。それで本当に耐えられるのか、着くまでによく考えろ』
 クロはどこまでも優しく、厳しい。どこまでもおれに現実を見せる。決してごまかそうとはしない。だからおれはクロといられる。
 大丈夫、覚悟をしたから行くんだ。

 あの二人が来なかったら、チケット代もクロの気持ちも無駄になる。でもそれは、ない。連絡を寄こしたのは向こうなのだから。
 まさか宮からも連絡が来るとは思わなかった。それだけ、本気なんだ。

 …もしかしたらと、思っていた。もしかしたら、宮はもう飛雄を好きではないかもしれない。
 確かに飛雄みたいな人間は、そうはいない。でも、宮なら見つけているんじゃないかと思うこともあった。
『この力があれば、どんな人間も思いのままや』
 そう言い切ったあの男のことだから、一時は惹かれたとしても六年も経った今。〈自分にふさわしい〉パートナーを見つけているのではと、わずかな希望を抱いたこともある。
 その希望は〈あの日〉ついえたけど、それはつまり、あの男の絶望をも意味する。

 六年前に見つけた小さな光。
 手に入れられると思った瞬間、光は消えた。
 後悔しただろう、呪っただろう、嫌悪しただろう、責めただろう、恨んだだろう。
 世界を、自分を。
 だけどどれだけ嘆こうと光は戻らない、見つからない。
 その苦しみは、光を知らなかった赤葦の比ではなかったはず。

 あの男も…宮も、孤独だったんだ。

 飛雄は、おれたちを好きになってくれた。
 一人を選べれば楽なのに、三人を好きになった。
 だから苦しんだ。
 だから奪い合った。
 そしてあの子は、いなくなった。

 でもあの子の心に、おれたちはまだいた。
 だから、おれが、おれたちが。あの子を幸せにする、今度こそ。たとえ、あの子を失うことになったとしても。
 あの子の笑顔を、取り戻してみせる。

「待ってて、飛雄」

 

 

 

 

4へ続く