【5】の続き

 

 

 

月日は流れ、大学に進学し、ボクと黄瀬君は同棲を始めた。
2LDKのマンションが、新しいボク達の帰る場所。
ボクと黄瀬君で一部屋ずつ、ベッドは別々。
早く同じベッドで寝たいっスと呟いた黄瀬君の言葉は、聞こえない振りをした。
罪悪感と恐怖は常につきまとっていたけれど、穏やかで、幸せな毎日だったと思う。


食事は一緒がいいという黄瀬君の強い要望により、なるべく一緒にとるようになった。
大学とバイト先だけの往復という単調な生活のボクと違い、黄瀬君の生活は不規則そのものだ。
大学進学を機に本格的に始めたモデル活動が、軌道に乗り始めたのだ。
増える仕事量や人付き合いに、否応無く削られるプライベートな時間。
朝はボクより早く起き、夜はボクより遅く帰ってくることもザラだった。
だけど黄瀬君は、どんなに遅くてもマンションに帰ってきたし、どれだけ眠たくても、ボクと食事をすることは欠かさなかった。
食事当番は、先に帰ってきた方がやるルールになっていたので大体ボクだった。
金銭面と栄養面を考慮し、なるべく自炊するようにしている。
一人暮らしをしてもやっていけるようにと、高校に入ってから母に叩き込まれた自炊の基本。
ボクの料理は、まずいわけではないが、おいしい!と言える程の物でもない。
こんなところまで平均にしなくてもいいじゃないかと呪うこともあった。
けど、何を出しても黄瀬君は”おいしい”と食べてくれるので、ボクはくすぐったい気持ちで一杯だった。
母に感謝した。

黄瀬君の帰りを待っていることもあったけど、あまりにも遅くなる場合は先に食べていた。
夜遅く帰ってきた黄瀬君が、今日はどんなことがあったとか疲れた顔で、だけど嬉しそうに話しながらご飯を食べるのを、ボクは相づちを打ちながら眺めていた。
黄瀬君が先に帰った時は、手料理を振る舞ってくれた。
仕事と大学で疲れているから無理しないでくださいと告げたボクに、黄瀬君は笑顔で答えてくれた。
”黒子っちがおいしいって食べてくれるのが嬉しいから”
胸がしめつけられる思いだった。

先に寝てていいと何度も言われたこともあるけれど。
ただいまと黄瀬君が帰ってきて、お帰りなさいとボクが迎える。
キスをして抱きしめ合って。
とても嬉しそうな幸せそうな、泣きそうな顔をするから。
ボクは必ず起きて待っていた。
ささやかで、夢のような時間だった。
なによりも愛おしい、日々だった。

 


そうして迎えた6月18日。
その日は朝から、今にも雨が降り出しそうな曇り空だった。
講義は午前中だけだったので、予約していたホールケーキを引き取り急いで帰宅した。
最初にお祝いしてからずっと、黄瀬君の誕生日は毎年ホールケーキだ。
ホールケーキは黄瀬君の憧れなんだそうだ。
いつも必ず余らせるけど、嬉しいおいしいと喜んで食べる笑顔が見れるなら、安いものだと思う。
オニオングラタンスープを始め、喜んでくれそうなごちそうを作り、プレゼントを隠し、準備は万端だ。
所属事務所がバースデーパーティーを開催してくれるからと、帰りは22時頃になると言っていた。
断りたかったんスけどね、とふてくされている姿が可愛かった。
予定時刻を30分ほど過ぎて帰ってきた黄瀬君を迎え、食事をとり、ケーキとともにプレゼントを渡し、泣いて喜ぶ黄瀬君をなだめ、2人だけのバースデーパーティーは終了した。
黄瀬君がお風呂に入っている間に、片付けをした。
残ったケーキにラップをかけ、冷蔵庫にしまう。
黄瀬君がお風呂からあがったらボクが入り、その後は青峰君と火神君が送ってくれたNBAのDVDを鑑賞する。
予定だった。


お風呂からあがると、激しい雨の音がしていた。
いつの間にか雨が降り出したようだ。
ゴロゴロと雷の音も聞こえる。
黄瀬君が帰ってくる時でなくてよかった。
リビングに入ると、黄瀬君はソファに座りDVDを観ていた。
背中の向こう、TV画面からは歓声が聞こえてくる。
先に観るなんて酷いです。
そう声をかけようとして、叶わなかった。
振り返った黄瀬君が、ボクを見つめていたからだ。
熱を孕んだそれは、あの日と同じ。
「どうしたの?黒子っち、こっちおいで」
体がすくんだ。
ダメだ。
あの目はダメだ。
だって、それは。
それが、意味することは。
「DVD、観ないの?」
ボクでもわかる程、その声には艶が含まれていた。
動揺してしまったら、きっとそのまま飲み込まれてしまう。
少しだけDVDを観て、眠くなったからとボクの部屋に戻れば、それで済む。
それだけで、また幸せな明日がやってくる。
ボクは必死に、なにも気付かなかったフリをして黄瀬君の隣に座った。
ああだけど、そんなささやかな願いは、いとも容易く裏切られた。


ソファに座り膝の上に置いたボクの左手に、黄瀬君の右手が被せられた。
反射的に引っ込めようとした左手は、右手に強く掴まれたまま。
恐怖と混乱が襲いかかり、嫌な汗が体中から吹き出す。
どうにかしてこの場から逃げ出すことにボクは必死になった。
戻れなくなる前に、早く、早く!
「あ、あのボクもう「2年半」」
ボクの声に被せられた、黄瀬君の声は。
「…2年半…待ったっス…」
つかまれた右手とともに。
「…ごめんね…待つって言ったのに…でももう…」
どこまでも震えてて。
「怖いんス…いつか黒子っちが、どっかに行っちゃうんじゃって…」
ボクを見つめるその瞳が。
「…確かな証が欲しいんス」
どこまでも。
「黒子っちの、全部をちょうだい」
不安と寂しさに、打ち震えているから。





「……っはい」

これ以外の言葉を紡ぎ出すことが。
どうしても、できなかった。







黄瀬君の部屋、ベッドの上。
窓には、ボクを思い出すからと空色に白い雲の描かれたカーテン。
向かい合って座る黄瀬君とボク。
キスをして抱きしめ、重なり合う。
黄瀬君は服を脱がせたがっていたけど、恥ずかしいからと拒んだ。
せめて服を着ていれば、拒否感も和らぐのでは。
黄瀬君の手が服の中に入ってきて、ボクの体を愛撫する。
その手は大切なものを慈しむように、とても優しい。
快楽を拾うはずの体はしかし、一向に冷えきっていて。
襲ってくる不快感を振り払うのに、ボクの頭は必死だった。
大丈夫、大丈夫、大丈夫。
耐えられる、耐えられる、耐えられる。
今日はきっと、大丈夫。

やがてズボンと下着を脱がされ、うつぶせにされる。
冷たい液を垂らされ、黄瀬君の指がボクの奥へと侵入してくる。
こみ上げる吐き気を必死でおさえる。
「黒子っち、痛い?」
「っだいじょうぶ、ですっ」
「でも体、すっごい震えてるし固くなって」
「っ緊張してる、だけですから」
「っでも」
「早く、してください」
早く、早く、一瞬でも早く。
この時間が終われば。
そうすればまた、幸せな、明日が。
「っ…痛かったら、言ってね」

ゴムをあける音がする。
早く早く早く早く早く早く。
心臓の音がうるさい。
息が荒い。
不快感は絶頂だ。
大丈夫大丈夫大丈夫。

黄瀬君の手が、ボクの腰をつかむ。
黄瀬君のそれが、ボクの、そこに…



バシィッ…!




腰をつかんでいた手を振り払い、口元をおさえトイレに駆け込む。
口から目から体中から。
溢れるものを必死に吐き出す。
「……っぁ……っぐ……っうえ……っ」
気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い
「っぐ…っはぁ…っう」
なんで、どうして、なんで、どうして、なんで、どうして
頭が痛い頭が痛い、割れるように頭が痛い

「…黒子…っち?」
「………っ!?」
震えるかすれた声が、ボクを現実に引き戻す。
驚いて振り向いた先には、呆然とした表情の黄瀬君が突っ立っていた。
「っあ、ち、違うんです、違うんです、これは、その「…黒子っち、オレとするの、気持ち悪いんスか?」」
恐れていた質問を浴びせられ、心臓が固まる。
黄瀬君の顔は凍りついていた。
どうしようどうしたら。
体の震えが止まらない。
うまく答えないと、なにか、言い訳を。
考えるのに、言葉が出ない。バカみたいに同じ言葉を繰り返す。
「違うんです、黄瀬君、違うん「吐く程…嫌なんスか?」」
なにか、誰か。
「っ違うんで「嘘言ってんじゃねーよ!!」」

突怒声とともに腕を掴まれ廊下に引きずり出された。
強く壁に押し付けられ、痛みに体が悲鳴をあげる。
「何が違うんだよ!オレのこと嫌いなんだろ!だから吐くんだろ!」
襟元を強く引かれ、詰め寄られる。
首が絞まり息が苦しい。
「っ嫌いなわけありません…っ大好き、なんです」
「じゃあなんで拒むんだよ!!」
答えられるわけがなかった。
そんなこと、ボクにもわからない。
「っ黄瀬く「青峰?」」
「火神?赤司?緑間?紫原?ああそれとも「っなにを」」
「なにをっ…言ってるんですか」
「アンタが好きな奴っスよ。言えよ、本当は誰が好きなんだ!?」
憎悪のこもった目でにらまれ、思考が停止する。
どうして、そんなこと聞くんですか。
どうして、そんな目でボクを見るんですか。
体が震える頭がぐらつくるああ黄瀬君は何を言って。
好き?好きな人?ボクが本当に好きな人。
「っ黄瀬君です…」
自嘲気味に笑った黄瀬君が、ようやくボクを解放してくれた。
ボクは床に崩れ落ち、軽く咳き込む。
謝ろうと顔を上げた目の前に。
「舐めて。好きならできるでしょ」
屹立した、黄瀬君自身。

反射的に口を抑え顔を逸らし、こみ上げる吐き気と不快感を抑えようと必死に体を丸める。
体が震える頭がぐらつく気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い。
「…アンタさぁ…オレをからかって楽しかった?」
耳を塞ぎたくなるような言葉が聞こえる。
からかう?なにを?誰を?ボクが?どうして?
「っなんで…黒子っちは、黒子っちだけは、オレをっ…」
黄瀬君は何を言っているの?
恐る恐る振り向いたボクの目に、映ったのは。


泣きたくなる程美しく、哀しい程に狂おしい、黄瀬君の、笑みだった。



激しい落雷の、音がした。

雨は一晩、降り続いた。

 




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