【4】の続き

 

 

 

ボクには悩みがあった。
性行為に興味がない、そういうことをしたくないのだ。


自分がおかしいと思い始めたのは、中学1年の時。
青峰君にDVD鑑賞に誘われた。
それはいわゆるアダルトビデオと呼ばれる物で、バスケのDVDだと思っていたボクは動揺を隠せなかった。
”テツだって興味あるだろ”
青峰君の言葉が、ちくりと刺さる。
興味なんて、なかった。
思春期の少年少女が本来もつであろう、性への興味。
欲望、劣情。
そういったものが、一切なかった。
自慰をしないわけではない。
ただその時でも、頭に浮かぶのは自分以外の何か。
他人同士の性行為ですらない。
自分が誰かとそういうことをするという想像を、何度かしようとしたこともあったけれど、あまりの気持ち悪さにしなくなった。
どうしてだろうと、自分でも不思議だった。
ボクはどこか、おかしいのだろうか。
考えも変わるかもしれないと、アダルトビデオを見ることにした。


結果、ボクは途中で吐いてしまった。
キスや抱擁はまだ見ていられた。
だけど、男性教師が、女子高生のスカートに手を入れ、女子高生から甘い吐息が聞こえ始めたら、もうだめだった。
気持ち悪くて仕方なかった。
何も見たくなかった。

トイレに駆け込んだボクの背中を、青峰君が優しくなでてくれた。
”わりぃ、テツにはまだ早かったな”
その後は、バスケのDVDを見て、何事もなかったかのようにその日は終わった。
どうしてボクはこうなんだろうと絶望にも似た思いを抱えながら、青峰君が希望を見出してくれたことに安堵した。
ボクにはまだ、早いんだ。
興味がないのは、ボクがまだ恋を知らないからで、きっと恋をすればその相手にそういう感情を抱くのだろう。
いつか訪れる甘い恋を夢見て、深く考えないようにした。





そんな淡い期待は、年を経ても叶うことはなかった。
黄瀬君と出会い、恋に落ち、付き合うことになっても、黄瀬君とそういうことをしたいと思ったことが、一度もない。
見ているだけだった時期も、黄瀬君とそういうことをする想像は一度もしなかった。
付き合ってからも、したいとは思わなかった。
ただ一緒にいて、キスをして、抱きしめ合って、そばにいられればそれでよかった。
それだけでボクの心は、何よりも満たされた。


だけど黄瀬君はそうじゃない。
ボクとしたいと、思っている。
男のボクに、欲情してくれている。
それが嬉しく…とても恐ろしかった。
黄瀬君から求められて、また青峰君の時のようになってしまったらと、考えるだけでふるえが止まらなかった。
もし、そんなことがバレたら。
もし、こんな考えを知られたら。
嫌われてしまう。
おかしいと、こんなボクはいらないと、捨てられてしまう。

それだけは嫌だった。
黄瀬君を失いたくない。
黒子っちと呼んでくれる、優しい声を。
優しく触れてくれる、指先を。
温かく包んでくれる、体温を。
何よりも愛しい、笑顔を。
黄瀬涼太という、男を。
どうしても、失いたくなかった。




それからも黄瀬君は部屋に呼んでくれた。
宣言通り、行為をしようとしてくることはなかったけど、キスや抱きしめることも、部屋ではしなくなった。
その2つは好きだったので、どうしてかと尋ねたボクに、辛そうな表情で黄瀬君は答えた。
”我慢できなくなるから”
自分の浅はかさに泣きたくなった。
そんなボクの様子を見てか、1回だけね、とキスして抱きしめてくれた。
どこまでも優しい黄瀬君。
どこまでもキミの温もりに包まれていたい。
だけど。
行為ができない罪悪感と、いつか失うかもしれないという恐怖感。
それらは日増しに強くなり、幸せを感じれば感じる程、ボクを蝕み始めた。


黄瀬君を早く受け入れられるように、練習しようとしたことも一度や二度じゃない。
男性同士のアダルトビデオを観ようとしたり、黄瀬君との行為をイメージしようとしたり。
キスはOK。抱擁もOK。
だけどくわえたりなめたりすったりもんだりいれたり。
行為をしてる。
それだけで、どうしてもだめだった。
観るだけでも想像するだけでもできなかった。
ビデオを最後まで、観れたことはなかった。
体がどうしても拒絶する。

なんで、どうしてなんで。
どんなに考えても答えは見つからず、ただただ、自分を責め続けた。
なんでボクはこんななんだ。
どうして普通にできないんだと、気が狂いそうになった。
だけど、今はだめなだけで、その内、いつか、絶対、平気になる。
そう言い聞かせては心を落ち着けていた。
ボクを蝕む痛みは、日に日に増していった。


一度だけ、黄瀬君に押し倒されたことがある。
付き合って約半年、黄瀬君の誕生日。
買ってきたケーキを食べ、プレゼントを渡し、横になって本を読んでいた時。
黄瀬君が突然、覆い被さってきた。
恐怖と混乱で身動きできずにいたボクに、泣きそうな声がかかった。
”お願い。何もしないから怖がらないで”
まっすぐ見つめる、なにかに怯えているような瞳。
かすかに伝わる、体の震え。
初めて見るその姿に胸が締め付けられ、黄瀬君に腕を延ばした。

向かい合い抱きしめ合ったまま、黄瀬君は話してくれた。
モデルのこと、家族のこと、苦しみのこと。
いつも明るい黄瀬君が、こんなに悩んでいるとは知らなかった。
時折のぞかせる寂しい瞳の理由を、初めて知った。
誰よりも沢山の人に囲まれているのに、誰よりも孤独なのだと、知った。
だけど今は、ボクがいるから寂しくないと言ってくれた。
オレを一人にしないで、ずっとそばにいてと、震える声で。
あんまりにも愛しくて、一人にしませんと答えた。
ずっといますよと、答えた。


全身を支配する甘い感覚と、胸をしめつける切なさ。
こぼれる涙は、どこからくるのだろう。
愛しい。という感情を初めて知った。
誰よりも愛おしい、大好きな黄瀬君。

ずっとキミの、そばにいさせてください。

初めて黄瀬君に、触れられた気がした。
ボクを蝕んでいた痛みが、小さくなった、気がした。



ボクの誕生日前、黄瀬君が欲しい物はないかと聞いてくれた。
何もいりませんとボクは答えた。
黄瀬君はよくボクに色々買ってはプレゼントしてくれていた。
嬉しかったし、もらったものは大切にしていたけれど、ボクは特に欲しい物はなかった。
読みたい本や必要なものは自分で買っている。
黄瀬君からは十分すぎる幸せをもらっていますから、これ以上望んだらバチがあたってしまいます。
そう告げたボクに、不満そうな顔をする黄瀬君が可愛かった。
そばにいられるだけで、触れられるだけで、幸せだった。




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