【黄瀬編3】の続き





ごく普通の家庭だったと思う。
大企業の幹部を勤める父、専業主婦の母、5つ年の離れた姉、そしてオレ。
人よりちょっと裕福だけど、ありふれた、4人家族だった。
だけどそう思っていたのはオレだけだった。
オレ以外にとって、「黄瀬家」は「3人家族」だった。

「黄瀬家」にとって、オレはいないものとして扱われた。

話しかけても無視されて、抱きついてもうっとうしそうに払われたりぶたれるだけで、抱きしめ返してくれる事は無かった。
母がオレに声をかけてくれることはなく、父と姉はオマエノセイデなんて言ってた事もあったけど、それも次第になくなっていった。
3人ともオレを見ないように、オレがいないように振る舞ってる感じだった。

出かける時はいつも置いてかれた。
遊園地とか水族館とか映画とか、そういうのに連れてってもらった事はなかった。
友達のお母さんとかが何度か一緒に連れてってくれた事はあって嬉しかったけど、「家族」と出かけた事は一度も無かった。
幼稚園で描いた家族の絵は、渡したその場でゴミ箱に捨てられた。

幼かったオレは色々やった。
なんでもないことで誰かを殴ったり突き飛ばしたり、欲しくもないのに誰かが大切にしてる物を奪ったり。
そうすれば怒ってくれると思った。
どうしてこんなことしたのって。
そしたらお母さんに見て欲しかったんだって言おうと思ってた。
お父さんに、オレを見て欲しかったんだって。
だけどその試みが成功する事は無かった。
オレが問題を起こす度、母は相手に謝罪し、封筒を渡したりして、終わり。
怒られる事も殴られる事も無かった。
ただ一言「あんまり問題起こさないで頂戴」と、ため息とともに言われるだけだった。
気付けばオレの周りには誰もいなかった。


作戦の失敗を悟ったオレは、次の作戦に出る事にした。
今までとは正反対の人気者になれば、親も見直してくれるかもしれない。
よくやった、涼太はすごいねって褒めてくれるかもしれない。
淡い期待を胸に、明るく親しみやすく人なつこい振る舞いをするようにした。
生まれ持った容姿と相まってか、たちまち効果はあらわれた。
オレの周りに人が増えた。
元々こっちの方が性格に合っていたのか、意識しなくても普通に振る舞えるようになった。
オレを好きだと言ってくれる人が増えて、純粋に嬉しかった。
それでも、「家族」がオレを見てくれる事は無かった。
授業参観も保護者会も、学芸会や体育祭も、一度も来てくれた事は無かった。
オレはいつも友達の家族に入れてもらってた。

オレはいわゆる鍵っ子というやつだった。
学校から帰っても家には誰もいない。
父は仕事、姉は部活や習い事、母は友達との付き合いや姉の送迎だとかで毎日帰りが遅かった。
帰宅したオレを出迎えるのは、玄関のドアを開けた先に広がる暗闇だった。
なんでかわからないけど、嫌で嫌で仕方なかった。
夕食はいつも独りだった。
宅配で週に1度届けられる冷凍の弁当が夕食のメニュー。
朝食は前日に渡される金で買う、スーパーやコンビニのおにぎりが定番だった。
ほんとはカップラーメンとかがよかったけど、「家族」がいる時はキッチンを使う事が許されてなかったから。
お弁当が必要な時は前日の内に、コンビニかスーパーでおにぎりとかパンを買うのが習慣だった。
そう言う時は大抵、友達がお弁当のおかずをわけてくれて嬉しかった。

ある時、遊びに行った友達の家でおやつにと出されたのがオニオングラタンスープだった。
初めて見るそれに、食べ方もわからなくて友達が食べるのを真似して食べた。
すごくあったかくておいしくて、友達はおやつにこんなの出すなって怒ってたけど、オレはまた食べたいって思った。
作り方を聞いたら、一緒に作ってみようかってお母さんは言ってくれて。
次の日材料を買って持ってって教わりながら一緒に作った。
思ったより大変だったしちょっと焦がしちゃったけど、なんとか完成したそれをタッパーに入れて持ち帰った。
友達には”黄瀬君ってほんと器用だね、うらやましい。私そんなに上手に作れないよ”と言われたけど、こんなスープを作ってもらえるその子の方がうらやましかった。
自分で言うのもなんだけど、おいしくできたからお母さん達にも食べてもらいたくて、冷蔵庫に入れてテーブルの上にメモを書いておいた。
なんて言ってくれるかなって、その日は中々寝付けなかった。
翌日いつものように何の反応もない「家族」に、もしかしてメモに気付かなかったのかな、おいしくなかったのかなって不安になりつつとりあえず学校に行った。
その日は友達とも遊ばず急いで帰って冷蔵庫の中を見た。
そしたらタッパーはなくて、食べてくれたんだって喜んだけど、夕食の弁当を食べ終えてゴミを捨てる時、開けたゴミ箱にビニール袋に入った焦げたタマネギとくしゃくしゃになったメモが見えて。
急いでお風呂に入って寝た。
あれは見間違いだと思う事にした。
あんまりおいしくなかったから何も言ってくれなかったんだ。
今度は上手に作ろう。
そう思いながら、それ以降オレが何かを作る事はなかった。


オレは友達と遅くまで遊ぶのが増えた。
そうすると遊びに行った先で、夕ご飯を食べさせてくれる事が多くなった。
誰かと食べる、手作りのご飯はこんなにもおいしいんだと知った。
雪のちらつく季節、夕ご飯に誘ってくれた友達の家では見慣れないコタツに入り、初めて見るお鍋と言うものを一緒に食べた。
すごくあったかかったのを覚えている。
食べ終わった後はミカンをくれた。
友達のお母さんは皮を剥いて渡してくれた。
なぜだか胸がしめつけられて、泣きそうになった。

友達の誕生日会に呼ばれる事も多かった。
みなでプレゼントを持ち寄り、主役が三角帽子をかぶりホールケーキのロウソクを吹き消したら、一斉にハッピーバースデー!
ケーキはすぐに切り分けられてしまうけど、その子のために用意された、ケーキもごちそうも三角帽子もすごく輝いて見えて。
幼稚園や学校で、あるいは友達がオレの誕生日を祝ってくれることはあったけど、オレだけのためのホールケーキが用意された事も、「家族」が祝ってくれた事も一度も無かった。
いいな、いいな、いいなぁって、何度も思った。

3年になった頃、オレは告白される事が多くなった。
クラスメイトもそうだけど、他のクラスの子や上級生、登下校の際に知らない学校の子からもあったし、友達のお姉さんとかに告白されることもあった。
好きって言ってもらえるのは嬉しかったけど、付き合うとなると話は別で。
オレの何を知ってるのってひねくれた事考えてたし、そーゆー好きとかよくわかんなかったから全部断ってた。


確か小学4年になった頃だったと思う。
放課後、友達の部屋でゲームして遊んでると、そいつが家族に呼ばれて部屋を出た。
その日遊びに来ていたのはオレだけだった。
部屋で待ってると、お姉さんが飲み物を持って来てくれた。
ちょうどノドが乾いてたから持って来てくれたジュースを飲んで、友達が戻ってくるのを待ってたけど中々戻ってこなくて。
お姉さんはなんかずっといるし、気まずいなぁって思ってたら急にお姉さんにキスされた。
ビックリして払いのけようとしたけど体が動かなくて。
”薬、効いたね。大丈夫、怖くないよ。気持ちいいだけ。弟はお使いに行ってるからしばらく帰って来ないよ”
そう言ってお姉さんはオレを押し倒し、服を脱がし始めた。
何されるのかわから無くて怖くて、でも声は出なくて、オレはただ震える事しかできないでた。
でも友達がポイント?カード忘れたとか言って部屋に戻って来てくれて、助かった。
お姉さんはオレが具合悪いからとか言ってて、友達が早く帰った方がとか言ってたけど、体が動かなかったから少し休ませてもらって、その間オレは友達の手をずっと握ってた。
そいつは心配して帰る時も家まで着いて来てくれた。
その日の事は忘れる事にした。


それ以降、オレは誰かの家に行くのを止めた。
他人の家で出された物を食べるのも、例え外でも他人が作った物を食べるのも止めた。
あったかいご飯に未練はあったけど、あんな思いはもうしたくなかった。

外でだけ遊ぶ事にして、夕方になれば友達が1人、また1人と帰るのを見送る。
そうして誰もいなくなったら家に帰り、慣れた暗闇に出迎えられる。
ダイニングテーブルに座りレンジで温めた弁当を食べる。
付けた大きな液晶TVでは、知らないお笑いタレントがなんかしゃべってた。
ふと、先生が言ってた事を思い出す。
世界には住む家も食べる物にも困っている子どもが沢山いる。
だけどあなた達は、帰る家もあって毎日おいしいご飯が食べられて、学校にも通えてる。
それは親があなた達を愛しているからなのよ、あなた達のために働いてくれてるからなのよ、だから親に感謝しなさい。
そんな事を言ってた気がする。
先生の言う通り、オレは住む家もあって食べる物にも困らない、学校にも通えて、楽しい。
だからオレは親に愛されてる。
…そう思うのに、こぼれる涙の理由がわからなかった。


皆が皆オレをうらやましいと言う。
カッコいい、スポーツもできる、話してて楽しくて、両親もお姉さんもキレイで、お金持ちで何不自由無く暮らせてていいなって。
そんなに愛されてていいなって。

そう…なんだと思う。
親には、洋服も靴もバッグも、小遣いも人より多いと思う位には与えられ、必要だとメモに書いて渡せばある程度の物は買ってもらえる。
まあカッコいいのは自覚してるし、体格も小学生にしては大きい方だと思う。
スポーツは見れば大抵の事はできたし(むしろなんでできないんだって思う)、性格は努力のタマモノっていうかこれも持って産まれた才能?ってやつかな。
そんなオレの「家族」だから整ってるのは事実だし、お金持ち…ってほどじゃないけど、それなりに持ってはいると思う。
そういう意味では恵まれているんだと思う。

だけどオレは、オレをうらやましいと言ったそいつらが持つ。
それぞれが多分好きなんだろうなってネコやら女の子やらクマやらのキャラクターがプリントされた、ちょっとデコボコした、所々糸のほつれが見えたりする体操着入れがうらやましかった。
子供服のブランド名が書いてある、立派なオレのそれなんかより。
運動会で一番になるより、運動ができなくても冬休みに家族とどこに行くんだって話してる奴の方がよっぽどうらやましかった。
皆が皆オレは幸せ者だと言う。
だからオレもそうだと思う。
でも、ならどうして、オレはこんなに寂しいんだろう。



その理由がわかったのは、10回目のオレの誕生日だった。
今まで一度も「家族」に祝われた事は無く(友達が祝ってくれるのが誕生日だった)、毎年「家族」は外食してた。
だけどその日、日が暮れ友達を見送ってから帰宅したオレは、母に出迎えられた。
初めての事にビックリしたけど、それ以上に嬉しくて、どうしたのって尋ねた。
”話があるの”そう告げた母は、2階にあるオレの部屋で話し始めた。

母はいわゆる「お嬢様」と言う奴で、父とは見合い結婚だった。
母には兄が1人いて、両親は昔から兄ばかりを可愛がっていた。
母の事はどうでもいいと放置し、見かねたお手伝いさんがなにかと世話を焼いてくれた。
両親に振り向いて欲しくて優等生であり続けたのに、結局私を見てくれる事は無かった。
今もそう。
娘が産まれた時でさえ、祝いの金を寄越しただけで顔を見にも来てくれなかった。
兄に子どもが産まれた時は、一家総出でパーティーを開いたと言うのに。
だから私は兄が嫌いだった。
兄さえいなければって、ずっと思ってた。

父との結婚は幸せだった。
初めて私を愛してくれる人に出会えた。
娘にも恵まれ、心の底から幸せだと思えた。

だけどその幸せは長く続かなかった。
お前を妊娠したせいで。
産まれてくる子の性別が男だとわかった時、今まで辛かった事が走馬灯のように思い出されて苦しかった。
兄と同じ性別の子どもなんて欲しくなかった。
本当は中絶したかったけど、優しい夫を悲しませたくなかった。
だから産んだ。
産みたくて産んだんじゃない。
年々、兄に似てくるお前を見るのが苦しい。
交通事故でも何でも、早く死ねばいいのにっていつも思ってた。
もう10才なんだから、私の言ってる事は理解できるわよね?
世間体のために必要な物はそろえてあげるし、家には置いてあげる。
問題を起こさない限り、学校にも通わせてあげる。
虐待してるなんて思われたら、あの人の評判に傷がつくから。
だからなるべく私の視界に入らないようにして、話しかけないで。
死ぬなら迷惑のかからない所で死んで。


そう告げた母は階段を下りて行った。
話はよくわからなかった。
気付いたら追いかけてた。

暗い階段に転びそうになりながら母を追った。
エンジン音が聞こえたので外に飛び出した。
彼女がお気に入りだと言っていた、オレは一度も乗せてもらった事が無い淡いピンクの車が走り去るのが視界に入り、がむしゃらにその車を追いかけた。
待って、待ってお母さん。
行かないで、置いてかないで、オレを捨てないで。

叫びが届く事は無く、やがて車は見えなくなった。
切れる息をそのままにしばらくその場に立ち尽くし、どこにも行く場所なんてなかったオレは家に戻る事にした。
瞬間、足に傷みを覚え何も履いていなかったことに気付く。
重い足取りで帰る道すがら、コレはドッキリなんだと考えた。
家に帰ったら父さんと姉ちゃんがクラッカー片手に飛び出して来て、ビックリするオレの前に大成功のプラカードを持った母さんが現れて、今までごめんね、これからは仲良くしようねって抱きしめてくれるんだ。
だって今日は、オレの誕生日だから。
謝ったぐらいじゃダメだけど、ホールケーキ買ってくれたら許してあげてもいいかな。

そんな淡い、縋るようなオレの願いは、玄関のドアを開けた先に広がる暗闇に打ち砕かれた。
それでもどこかに隠れてるんだと思って、家の中を探しまわった。
もしかしたらかくれんぼに変えたのかもしれない。
オレに見つけられるのを待ってるであろう、3人の姿を探しまくった。
全ての部屋もクローゼットの中もトイレも風呂場もパントリーも書斎も物置も、床下もベランダも屋根裏も車庫の中も、空間という空間は全て探した。
だけどどこにもいなかった。
お父さん、お姉ちゃん、お母さん、どこ?
もう降参するから出てきて。
そう何度も大声で呼んだけど、返事が返ってくる事は無かった。

どうして見つけられないんだろう、探し方が悪かったのかと最初からやり直そうと玄関に戻った。
そして靴箱の上に置かれたお金が目に入る。
それは、いつもより1枚多い千円札だった。



瞬間、全てを悟った。


|愛されてなんていなかった。
オレは母に憎まれていた。

ふと、いつだったか父と姉に言われた言葉を思い出す。
”オマエガオンナノコダッタラヨカッタノニ”
”オマエノセイデオカアサンハクルシンデルンダ”
あの時は意味が分からなかったけど、今ならわかる。

父にも、姉にも。
オレは愛されてなかった。
必要と、されてなかったんだ|





気付けば大声で泣いていた。

泣いて泣いて、声がかれても涙が出なくなっても哭き続けた。
哭きたかった。
叫びたかった。
そうしないとおかしくなってしまいそうだった。

どうして、どうして?
お母さん
お父さん
お姉ちゃん
どうして、どうして、どうして?

何を聞いているのかわからなかった。
ただ、どうして、なんで、どうして。
その言葉だけが頭を支配した。

なんで
なんで


泣きながら千円札をビリビリに千切った。
玄関の土間にまき散らし、思い切り踏みつけた。


こんなものいらない
こんなものが欲しいんじゃない
こんなものが、欲しかったんじゃない!!


どうして
どうして

どうして…



世界が色を失った。
その日からオレの世界は、灰色になった。




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