【2】の続き

 

 

 

「相変わらず酷い顔だね、黒子」
「…お久しぶりです、赤司君」
大学近くにある喫茶店で、今日の講義を終えたボクは赤司君と会っていた。
高校時代は京都に住んでいた赤司君だが、東京の大学に進学したため、今はこちらに住んでいる。
高校卒業まで待ってもらっていたという赤司財閥を引き継ぐべく仕事も、平行してこなしているそうだ。
忙しい中、ボクのことをなにかと気にかけてくれては、月に2度、こうして会っては赤司君や皆の近況を教えてくれる。
今となっては、ボクに残された、かつてバスケで競い合った仲間とのたった1つのつながりだ。
「前にも言っただろう。眠れないなら、睡眠薬を処方してもらうといい」
ボクの目の下のクマのことを言っているのだろう。
感情は隠せても、身体的な不調を隠せないことが苛立たしい。
「大丈夫です、そう言うんじゃありませんから」
前に置かれた珈琲カップに目をやりながら、なんとかやり過ごそうとする。
赤司君の視線を感じる。
やめてください、赤司君。
これ以上、見ないで下さい。
「話なら、いつでも聞くよ」
「ありがとう、ございます」
その優しさに、すがりつきたくなるから。

「黄瀬は変わらないか?」

今まで一度も聞かれたことのなかったその問いに、心臓を掴まれた気がした。
ドクドクと、鼓動が脈打つのがわかる。
緊急事態、緊急事態。
落ち着いて対処せよ。
取り乱しては、いけない。
「なんの、ことですか?」
「…1年半前、お前に相談を受けたあの日から、お前は笑わなくなった」
「元々、無表情です」
「それどころか、すべての関係を断ち切り、オレ達との接触を拒むようになった」
「…人間関係に、疲れたんです」
嘘だった。
黄瀬君が壊れたあの日から。
正確には、その10日後。
黄瀬君と交わした愚かな約束を、実行し続けているだけだ。

恐らく、赤司君はボクがみんなとの接触を断った理由を知っているのだろう。
講義などに必要だからと、降旗君との接触を許してくれているのとはわけが違う。
それこそ赤司君は、今のボクの生活には関係がない。
なのに黄瀬君は、赤司君との接触は許してくれている。
赤司君は、接触を断っていることを問いただすこともなければ、僕と会う時に誰かを連れてくることもない。
でもなぜ?どうして?
何度聞いても、赤司君は教えてくれない。


なんとか質問をやり過ごし、そろそろ店を出ようかと思った頃。
「来週、31日。お前の誕生日だろう」
「覚えてて、くれたんですね」
「当然だ。オレを誰だと思っている。どうせ黄瀬が帰るのは夜中だろう?その前に、食事でもどうだ。誕生日祝いにごちそうしよう」
赤司君の思わぬ申し出に、涙が出そうになる。
キミは、キミだけは、ボクをそのまま、受け入れてくれるんですね。
きっと黄瀬君は覚えていない。
待つだけバカと言うものだ。
もう何度も味わっただろう?
…だけど。
「…すみません」
バカを通り越して大バカだ。
何百回と粉々に砕かれ続けた期待の墓標では、学習する機会を与えてはくれない。
「黄瀬君が、早く帰ってきてくれるかも、しれないので」
「…わかった。なら翌日はどうだ?」
「それなら、大丈夫です」
「楽しみにしているよ」
赤司君は、何も聞かないでくれる。

珈琲を飲み終え、ボク達は店を後にした。
車を停めているという駐車場まで見送ろうとするボクに”恋人じゃないんだから遠慮するよ”と赤司君。
そんな言い方をされては、ついてくわけにはいかなかった。
別れる直前、赤司君は労るような表情でボクに告げた。
「黒子、お前がそうなのも、黄瀬がああなったのも、お前のせいじゃない。自分を追い込むな」
「…………」
そんなわけない。
そんなわけ、ない。
ボクのせいで、ボクが悪いから。
胸が痛い、目の前が暗くなる。
もう、赤司君の顔は見えなかった。
「…黒子、お前は人魚姫になりたいと言っていた」
「…はい」
それは、1年半前。
黄瀬君が壊れた日から1週間後、赤司君に話した切望。
「その考えは、今も変わりはないのか?」
「…はい」
少しの沈黙の後、ためらうように赤司君は口を開いた。
「…王子は、幸せだと思うか?」
「……え?」
「人魚姫を失った王子は、本当に幸せになれたと思うか?」
意味が分からなかった。
失うもなにも、人魚姫のことは妹として可愛がっていただけだ。
人魚姫を失い、悲しみに暮れることはあっても王子にはお姫様がいる。
お姫様と王子様は、いつまでも幸せに暮らしました。
それが美しい物語の結末だ。
「ほかに、なにがあるというんですか?」
質問の意図さえわからないボクに、赤司君はなにも答えてはくれない。
ただただ辛そうに細められた2つの赤が、ボクを見つめる。
どうして、そんな目をするんですか。
「”約束”は覚えているな?」
「……はい」
「ならいい。また来月」
「はい」

さっきの質問はなんだったんだろう。
遠くなる足音を背に、駅への道を歩き始める。
1年半前、赤司君と交わした”約束”を思い出しながら。

”お前が壊れる前に、涼太から距離を置くと”

赤司君は、優しい。
だけどその優しさは、時々ボクに突き刺さる。
突き刺さったそれを抜こうとして、傷口を更に広げる。
そうして膿んだ傷口は、治ること無く永遠にボクを苛む。
「…ボクは、大丈夫です」
もはや呪いのような言葉を、ボクは何度も繰り返す。
そうしないと、ボクの中にある、黒い塊が溢れ出そうだったから。
溢れたが最後、それは濁流となり、全てを飲み込み破壊する。
そんな恐ろしい、予感がするから。

「ボクは、大丈夫です」
ボクは、大丈夫です。
ボクは、大丈夫です。
ボクは、大丈夫です……

何度も何度も
何度も何度も何度も何度も繰り返す。
ボクがキミを、壊してしまったあの日から

 

 


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